murakami Labo.

村上研究所

その続き

9月19日(日)、20日(月・祝)、21日(火)と3日連続で落語に行き、2日目の中トリの権太楼師匠のところまで書いたその続き。仲入り後です。えーと誰が出たっけ・・。
トリはさん喬師匠の「文七元結」。さん喬師匠でこの噺を聴くのははじめて。さん喬さんの小さい声でぼそぼそとしゃべる持ち味にこの噺がいかにも合っていて、楽しめた。で、噺の終盤近くの一部の展開で「あれ?」ってなった。時間の経過でいうとちょっとしか経ってないはずなのに物語は大胆な展開なのだ。他の噺家さんで聴いたときもそうだったので、さん喬師匠が悪いという訳ではなく。今まで気がつかなかっただけのことです。
 
さてその翌日が都内のマニアックな場所で毎月開催されている志の輔師匠の落語会。志の輔師匠はパルコ劇場を1か月お客さんで一杯にするような、千人の会場の落語会も数分でチケットが売り切れになるような方なのですが、この月イチの落語会は百人くらいのごく小さな会場で極秘のうちに(!)行われる会なのだ。マイクなしで、地声で聴くことができる。
今年の春ごろまでは志の輔さんの落語会に月2本くらい足を運んでいて、ちょっと休憩して、そのうちに落語会よりも寄席のほうが好きになってきて、8月の鈴本演芸場で「さん喬・権太楼」両師匠の凄さを知り、となると志の輔はちょっと飽きてきてもおかしくない……というような予感を毎回裏切ってくださる方なのです。8月の牡丹灯篭、素晴らしかった。
その日は前座志の春さんの「天災」からはじまるのだが、これがよかった。志の輔師匠の三番目の弟子、志の春さんは実に不思議な。立川流といったら、あのビッグボス(!)と、志の輔師匠、志らく談春と……じゃないですか。この傾向、目指す方向間と志の春さんは、まったく真逆に見えるのです。実にストイックな、はみださない、抑えた落語なのだ。
これが抑えた結果なのか、それとも実は不器用で大きな表現ができない結果なのかが分からなくて、聴いているこちら側としても「わー、そこはもうちょっと派手にやってよ!」と思うことも無きにしもあらずで、でも結果、噺に引き込まれてしまう。というのは志の春さんの腕でもあり、古典落語の脚本の力でもあると思うのです。
 
さらにその次の志の輔師匠の「忠臣ぐらっ!」という噺があって、新真打・三遊亭鬼丸さんが出てきて、仲入り後、志の輔師匠。不思議なマクラのあと「小間物屋政談」。ここに至って前日の「文七元結」の疑問点が見事に私のなかで解決するわけです。