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村上研究所

『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら (幽ブックス)

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら (幽ブックス)

著者の身の周りにあった霊的体験や不思議な出来事を集めたエッセイ集。怖い話といったらそんな演出の小説やら表紙がいかにもな本を予想してしまうのだが、この本はかっちりと「ノンフィクション」という枠組みにあるのが珍しい。
 
まえがきとして、著者がノンフィクションを書くにあたって心がけているのが「嘘をつかないこと」「盗作をしないこと」の2点であるという。作家になりたての頃、友人からアドバイスとしてその忠告を受けたそうだ。著者の身に起きる不思議な体験を描くにあたり、怪談の類の本は一切読まなかったという(ただし、著者が伝記を書いたラフカディオ・ハーンの『怪談』は除く)。
 
そのスタンスのもとで不思議なはなしが15篇書かれていて、まあ怖いです!
余計な恐怖を煽るような演出がなくて、日常のたんたんとした風景のなかにじわじわとあの世のもの・あちら側の存在がさりげなく存在するわけですね。怖いですね。恐ろしいですね。
 
幸いにして私自身はその種の存在にはまだ出会っていなくて、今後もなるべくなら出会いたくない。直接目にしたらやっぱ怖いだろうと思う。なにぶん未経験なもので。
 
しかし著者の場合はさすがに違う。そちらのお方たち(?)とのお付き合いも堂々としたものである。昔骨董屋で購入した古い甲冑が、家に置いておくと夜中に勝手に動くという。よくみると甲冑には血がついていた。戦で使われたものらしい。勝手に向きが変わったりしているらしい。付き合いのある知人から、あれはお祓いしなさいと般若心教を渡された。頂いたお経はありがたいものだ、という前置きのうえで。

 実のところ、私は一度もこのお経を読み上げたことがない。甲冑が気ままに動きたいのなら動かせてあげたいと思い、それを封じるのは止めた。何が起きても、あの世の人たちにはあの世の理由があろうと考えて、追い払わないことにしている。
 つまり彼らと、うまく共存したいのである。
(本書77ページ「三島由紀夫の首」より引用)


なぜ怖いのかを考えるに、やはり彼らはこの世に恨みとか憎しみとかのネガティブな感情のもとに出てくる方々が多くて怖がられるんではないか。明るく楽しい彼らは出てこないのか。その種の写真で、カメラに向かってピースサインをしているやつとか。